こんにちは、しましまです。
1年位前、許せないことは悪いことじゃないというブログを書きました。
学年が上がり、次男と件の先生はほとんど関わらない距離になりました。
最初は視界に入るのも微妙だったようですが、日々ほとんど会わないおかげで意識の外に出すことができるようになったみたいです。
今は何事もなかったように学校生活を送れています。
そうだよね、それでいいよね。
嫌なモノやコトからは離れることが一番です。
離れられれば、考えなくなって意識の外に飛ばすことができます。
離れられないと、また心を傷つけてしまいます。
離れて、意識の外に飛ばして、考えない状況を作る。
そうしていくうちに、だんだん感情が薄れていく最終的にはあったことを『ただあった』と言えるようになること。
その時にマイナスの感情が戻ってこないことを目指す。
そこではじめて許せるか、許せないかって話になると思うんです。
許すとは
過失や失敗などを責めないでおく。とがめないことにすること(goo辞書より)
許す側って、何かされた側です。被害者です。
なので、責める、とがめるという行為には、普通にやればどうしても感情が入ってしまう気がします。
ということは、許すということは、結局はその感情を抑え込むってことになりません?
被害受けたのに、さらになんで抑え込まないとダメなんだ!?
理不尽だ!!と思ってしまう。
だいぶ心が狭いですかね(苦笑)
だからこそ、許す側がフラットになれなければ、そもそも許すことなんてできない。
逆にそのことに対して感情が入らずにただあったこととして認識できさえすれば、自然と許したことになる。
と、最近思うようになりました。
許さないと自分が楽にならない場合以外は、無理に許そうとしなくていい。
離れて、考えなくなっていくうちに自然と許せているから。
それよりも、いかに自分がフラットで過ごせるかを考えて行動するほうがずっと建設的です。
現実問題、離れたくても離れられない!ということも多いので難しいかもしれませんが、許さなくてもいいって思うだけでも、前に進める気がしています。
今日もおだやかな一日になりますように。
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